守公認? 私設ファン倶楽部3


 翌日……某公民館集会所でその集まりはいつになくどんよりとした雰囲気で始まる。
 押し黙っていた一同だったが、本世屋がダンボールと紙を持ち、入ってきた。
「アポを取るな!と言っていたが、撤回するっ!!」
 黒板には『緊急事態! 我らの守が降板?!作戦会議』と大きく書かれてあった。
「……どうすんのよ」
 野嶋明子が不安げに本世屋の顔を見上げた。
「入り待ち禁止令も撤回する」
「ということは……入り待ちして本人に確かめるの?」
 水鳥碧が夕べ泣きはらしたのか、はれぼったい顔で尋ねた。
「碧、入り待ちったってもう守くん、降板しているじゃない?」
 烏丸美佐子が口を尖らせる。
「入り待ちなどという生易しい事もしないっ! きっと恐らく彼は降板させられたに違いない。だから僕らはそれを確かめに今日これから直接撮影スタジオに乗り込む!」
「これから?!」
 一同は声をそろえて驚きの声を上げる。
「こういうのはな、早ければ早いほどいいのだっ!」
「ってぽよやん!! どうするつもりなのよ!!」
「お前らだってこのままじゃ納得できないだろ?! だから例え徹夜になってもこちらの主張を訴えるのだ!!」
 本世屋の目は燃えていた。それはもうこれ以上ないくらい萌えていた。もとい、燃えていた。

 翌日彼らはすぐにスタジオの入り口で大きな看板を掲げた。
 もちろん徹夜で即興で作り上げたメッセージ入りの物である。そのままスタジオに突撃した。もちろん警備員が驚いた顔をしたが彼らには一刻も争う出来事である。待ってなどいられない。
 警備員はおじいさんだったので彼らの若者パワーに叶うわけがなく、しばらくして撮影所の事務の人間が出てきた。そこで当然押し問答になったが。本世屋も野嶋も水鳥も烏丸、宮もキャストの関係者が出てこないとそこを動かないと言い張った。
迷惑なのはわかっている警察沙汰になってもいい、とにかく守本人の口から聞きたかった。
 そのうちスタジオの玄関先で揉めると他の人に迷惑になるからと向こうから折れてスタジオの中に案内された。
 会議室に通された時になって初めて、本世屋達は自分達はとんでもないことをしでかしてしまったのだろうかと思い始めていた。
「ねぇ、ぽよやん、やっぱりまずかったんじゃないのかなぁ……」
「きっとここの撮影所の人警察呼んでるかもよ?」
 もうかれこれ会議室に通されてから一時間は経っている……。
 水鳥と烏丸がなんとなく気まずい空気を醸し出していると、机がバンと叩かれる。
 叩いたのはファンクラブの副代表の野嶋明子だった。
「煩いっ、怖気づいたのなら帰っていいわよ! 所詮貴方達の守くんへの想いはそこまでだったってことよ、私はもうここまできたらなんでも来いよ!」
「……」
 野嶋明子は水鳥碧と烏丸美佐を睨んだ。
「あんた達どうするのよ?! 腹くくるの帰るの?!」
 ストレートの黒髪で可愛らしいピンクのチュニックを着た水鳥碧とショートの髪型にジーパンにジャケットのボーイッシュな烏丸美佐子は緊張した面持ちで顔を見合わせた。
「どうするの?!」
 野嶋明子は可愛らしい服装ではあったが、芯は強い。長い髪の毛は両サイドを三つ網にして結わいて全体を上げていた。
 その時ドアがトントンという音がして、みなが一斉にドアへ視線が集中する。
「あのっ……お待たせしてしまいすみませんでした」
 聞きなれた声、みんなが一瞬どきりとなった。一番体が固くなったのは誰だろうか、いや恐らく全員が固まったに違いない。
 ドアが開くと、ずっと会いたかった本人がみんなの目の前に現れる。
 ドラマとは違った雰囲気で申し訳なさそうにしていた。
「ええと……」
 本人が目の前にいる事の感動の方が大きくて、誰も彼も押し黙ってしまった。

 か、可愛い……
 テレビで見るより細い……!
 な、なんかいい匂いがする……。

 一瞬みんなが上の空になっていた。
 先ほどまでの怒りとは違いなんとも言えない夢心地になる。
 目の前で見たほうが、自然体で想像以上に守は可愛かった。
 役とは違いとてもラフな格好をしている。ちょっと想像と違っていた。もっと近寄りがたいそんな風に思っていたのだが。
 普通の格好と言うか、でも髪の毛がさらさらとしたボリュームで肌も白くて綺麗だった。少し手を差し伸べただけで今にも頬に手が届く事の感動……。
 不意に夢心地から今ある現状を真っ先に思い出したのは野嶋明子だった。
 芯の強い彼女はどうしても今回の事をはっきりさせたかった。
「初めまして……私はあなたのファン倶楽部の副代表の野嶋明子といいます」
 いつまでも夢心地ではいられない。このままだったらこの先の楽しみの本来のドラマへの夢心地がなくなってしまう。
「あ〜あのですね……そのっ……」
 緊張の状況に耐えられなくなったのか守から話しかけてきた。
 明子は何か言おうとしたが、その前に先ほどから無言だった本世屋がとうとう口火を切った。
「あなたのファンである俺達が、どうして今ここであなたを待っていたか、わかってらっしゃいますよね?」
 本世屋が驚くほど冷静な声で守に問い詰めた。守も当然この状況がなんであるか理解してくれているはずだとみんな思っていた。
「……はい」
「どうしてドラマ辞めてしまったのですか?」
「え……あ……」
「俺ら、あなたのファン倶楽部を作りました。それは俺らの勝手でした事です。でも、どうしても作らなくてはならない事情がありました。あなたの事務所からは何もそんな募集がなかったし……とにかく情報すらなくて……この間のお芝居の情報だって偶然見つけたんです」
「……そうだったんですか……」
「俺ら本気であなたを応援しようとしていました。けれど、何も説明もなく、どうしてドラマからいなくなってしまったのかと思って……もしかして具合が悪く なったのかと事務所に連絡したんです。そうしたら、降板したって……。何故ですか? あの作品はあなたじゃないと俺達は……」
 そう立て続けに言ったものの、明らかに守は動揺していた。
「すみません……でもっ、『昴さんは』僕よりも芝居経験が豊富で上手いですし、今は違和感が多少あるかもしれませんが、きっと慣れればみなさんそちらの方が気に入ってくださると思います」
 何故冬条ばかりを守が持ち上げるのかそこにいた連中には意味不明だった。
「守さん、降板させられたんですか?」
 耐えかねた烏丸美佐子が守に話しかける。その目は真剣だった。
「いえ、そうではないです。僕は自分がそのっ、向いてないような気がして……」
「向いてない……? それだけの理由で……?」
「……は、はぁ……あのっ……そうです」
 本世屋達はぽかんとした、この春原守という人間の正体が今ひとつ掴みきれない。
 こんなに熱狂させといて向いてないって一体なんなんだ?!
 急にカッと怒りが頭のてっ辺から瞬間湯沸かし器のように沸いて、本世屋はさながらお湯の沸いたやかんのようになった。
「……あんた、俺らの事馬鹿にしてるのか!!」
「ち、ちょっと、ぽよやん!」
 慌てて副代表の野嶋明子が本世屋が守に飛び掛りそうになったのを制止した。
 他のみんなも一斉に本世屋を押さえつける。
「守さま、守さまには何か他に理由が、私たちには言えない事情があったのですよね?」
 水鳥碧がストレートの髪の毛を揺らし、不安そうに守を見上げる。
「あのっ、本当に申し訳ありません。今は納得できないと思います……でも、『昴さん』は凄く上手い人です。さっきスタジオで撮影を拝見させていただいて、彼の芝居を見て思いました。きっとみなさん気に入ってもらえると思います。僕よりも完璧でした。だから……」
「ふざけるなよ、さっきからそればっかり! そんな言葉を聞きたくて俺らはここに来たんじゃねぇよ!」
 押さえつけられた本世屋が彼女達の腕を振り払おうとしたが、彼女達も必死で押さえつける。
ここで守に傷でもつけられたらそれこそ復帰どころではないではないか。
 たまりかねた野嶋明子が一喝するように本世屋の腕を強く引き寄せた。
「ぽよやん!」
「……!」
 しばらく部屋の中は静まり返る。当の本人の守はどうしたらいいか俯いてしまった。
 きっと何か何かが彼を降板という意思に導いたのだろう……。
 ここで押し問答してもすぐに答えがでる状況ではなかった・
 守が黙って俯いてしまって。本世屋は少し後悔した。
 責めるつもりはなかった……。
 大好きな人が瞳を落としてその瞳が少し潤んでいる。辞めざるを得ないどうしようもない理由があったのだろう。
「みんな、帰ろう……こんな人だとは思わなかった。ファン倶楽部も解散しよう……俺はこの人はお芝居が好きで大好きで……ひたすらこのドラマを頑張ってたのかと思ってたけど……違ってた……」
「ぽよやん……」
 本世屋の悲痛な言葉にすぐには賛同できなかったけれど、みんなは守がもうこのドラマには出てくれないのだろうなとなんとなく察してしまっていた。
 これ以上ここにいるともっと悲しくなると思った。
「お時間取らせてすみませんでした……俺ら、もう帰ります……」
 彼らはそれぞれ頭を下げ会議室からそろそろと出て行く。ダンボールで作った反対運動の看板も今はくたびれてむなしさを増幅させていた。
 本人の意思でこうなったのなら仕方ない。
 初めて会ったのに最後になるなんて……辛くて仕方ない。
 会議室から出てそろそろと歩くと、守は彼らとは別の方向に戻っていく……。
 歯をくいしばった本世屋が目を思い切り閉じ、どうしても投げかけたかった言葉を投げかけるため、ふりむいて守の背中に声を上げた。
「守さん!」
 声を掛けられて振り返った守は驚いた表情をしていた。
「……」
「上手い下手じゃないだろ! そうでなきゃこんな風に抗議しに来たりしねぇよ! 誰が完璧な『守』ができる人を望んでんだよ! 違うだろ!? 俺らはあんただからあのドラマ見てたんだ! 俺らはあんたの芝居が好きだった! 大好きだった!!」
「……!!」
 本世屋は叫ぶと野嶋明子の目から涙が出てきた。ボーイッシュで勝気な明子が泣くのは余程の事だ。
 それを見た水島碧は長い髪の毛を下に垂らし、同じように目から涙をあふれさせた。
 声にならない泣き声が出た。
 こっそり宝箱のように大事にしていた。やっと自分が夢中になれるものに出会えた。
 幼い頃から内気な彼女が初めて勇気を出してお芝居を見に行ったり、クローバーの鉢植えをあげたりした。
 自分でも信じられないくらいの行動力だった。それが彼女の生活も明るくしていた。
 だからこそこの落胆は大きく、もしかして守くんはお芝居そのものも止めてしまうのではないかと、完全にブルーになっていた。
 烏丸も同じ気持ちだった。もともと小劇団の芝居は好きだったが、劇団イルカは彼女にとって癒しの劇団だった。有名になんてならなくていい。自分達の宝箱のような存在で身近にいて欲しい……。それが彼女が春原守に求めている事だった。
 唯一隆二のファンクラブと併用して入っている宮も残念な気分だった。
 自分の本命の隆二も好きだが、この春原守も自分のお気に入りになってなんと言ってもこのファンクラブの仲間達のアットホームな雰囲気が大好きだった。
 もう全員が気の抜けた抜け殻のゾンビみたいになってぞろぞろ歩いていると、後ろから誰かが走りこんできた。
 それはもう軽快に、さわやか過ぎるほど可愛く綺麗に自分達の前に滑り込んできた。
「まって……くれ……。待って!!」
 みんなが驚いて顔を上げると、息を切らした守がみんなの行く手を阻んでいた。
「待って! 待ってくれ! お願いだから!!」
 彼らが大好きな守のお願いを誰が聞かないと言うのだろうか。その場で全員が固まった。
 目の前の可愛い人が息を切らしながら必死になっているのだ。
 不謹慎だと思いつつ、やっぱり可愛いと思ってしまった。
「本当の事言うよ、ごめん言う。包み隠さず言うっ、僕は辛かったんだ。そのっ、芝居の部分より、そのっ……!!」
「……?」
 みんな守の顔を凝視している。こんな至近距離で見た事がないので、余計身を乗り出したくなる。
 可愛らしい唇が潤んだ瞳が彼らを吸い寄せる。
「Hシーンが辛かったんだ!!」
 
 あ……。
 水鳥碧が真っ赤になる。

 そ……そうか……!!
 本世屋もなんとなく赤くなった。
 
 そ、そこ? そこ辛かった?
 一番の見所で凄いよかったのにと野嶋明子は思った。

 ええっ、隆二さまとの素敵なシーンなのに?!
 と宮は別な角度で驚いた。

 守くん汗かいてて可愛い、必死な顔も可愛い。やっぱり好き、好きー可愛いっ!
 烏丸だけが変な方向に向いていた。

 馬鹿みたいに正直にみんなは今まで頑なになっていた心が解け始めた。
 もう守が何言ってもうんうんと頷きそうな勢いだ。
 ファンという物はそういう者である。情けないくらい夢中になり、時折妄想も交えて自分の中で理想像を膨らませてしまう。Hシーンも喜んでやっていたのだと思い込む。だが現実は違うのだ。
「……でもそれは逃げだった。僕はとてもヘタレで、自分でもどうしようもないほど。でもっ、誤解しないで、僕は芝居が好きです。大好きです!! 劇団イルカは当然続けるよ、どんな小劇団でもこれからもお芝居します! 何か聞きたい事あるんだったら、僕が出るお芝居とか情報を伝えるように事務所にお願いしておきます。ですから悲しまな いで下さい。いや、僕のせいで悲しい思いをさせてごめんなさい」
「……」
「それから、さっき昴さんのこと誉めましたよね! でも違うんです、僕は今とてもくやしいです。降板した事死ぬほど後悔しています! 本当は『帰還』のド ラマに復帰したいんです。だから……だから僕が復帰できるように……どうか応援してください。僕を見捨てないで……ファン倶楽部解散しないで下さい!!」
 
 もう何も言葉が出なかった誰一人として。
 そして初めてそこが玄関から出て入り待ち、出待ちをしているほかのファンの人に囲まれていることを知った途端、守も本世屋達も顔が真っ赤になった。
「いいなぁ〜守くんのファン倶楽部の人たち〜!」
「お願いされてるー羨ましい〜私もお願いされたい〜!!」
 と誰かが囁き、みんなが突然拍手し始めた。
 拍手の輪の中、みんなが照れ笑いのような笑顔になって、いつのまにかファン倶楽部全員がみんな笑顔になっていた。
 守も真っ赤になりながら思わず笑みが零れた。

 そこで落ち着いたみんなは会議室に一旦戻る事になった。
 会議室ではみんなが守と対面するように腰掛ける。
「あ、俺、自分の名前も言ってなかった! すいません、俺はファン倶楽部の代表の本世屋といいます、こいつは副代表の野嶋明子で他メンバーは右端から水鳥碧、烏丸美佐子。宮慶子、他にメンバーが数人いますが、今日は来てません」
 みんなはそれぞれ自分で作ったファン倶楽部の名刺をここぞとばかり守に見せ付ける。
「凄いね……」
 守が興味深そうに名刺を見つめている。
 先ほどから違う方向に妄想が走っている烏丸美佐は、やっぱり真近で見るとかわいカッコいいと体をくねくねさせては宮慶子に軽く押さえつけられていた。
「こ、こんなのも作ったりしたんですよ〜」
「何?」
 水鳥碧が、ドラマ中に瑠璃さんが作った守人形と同じ物を作って持っているのを自慢した。
「わぁ〜かわいいね〜」
「みんな持ってます」
「凄いね〜」
 守はそれを手に取ると興味深く眺めて目を細めた。その笑顔にその場にいる全員がきゅんとなる。
 そうなのだ。ファンとは悲しい物なのだ。
 心拍数が上がり、何をしゃべっているかわからなくなり、天にも昇る気分。
 それが自分たちが見つけた、まだ役者の卵に近い無名に近い宝だと思うと尚更嬉しくてたまらなくなる。
 人形を片手にそれを眺めている笑顔がとても可愛いとその場にいる全員が思う。
「よ、よかったらもらってやってください」
「僕にくれるの?」
「は、はいっ!」
「うわぁ〜ありがとうございます!」
 もうここまでずうずうしくのめり込んだのならもう言うしかないあれを言うしかない。
 本世屋はずうずうしいついでにファンクラブについて言おうとした。
 隣の野嶋明子と目が合って催促するようなしぐさをして頷く。
「で、あのっ、守さんにお願いがあるんですが……」
「何ですか?」
「もしよければっそのっ、僕らのファン倶楽部を……そのっ、公認していただけませんか?」
 全員が緊張した顔で守の顔を真剣に見つめた。ファンクラブにとってはこれは正念場だ。
「……もちろん。僕がお願いしたくらいですから……」
 柔らかなやさしい表情で嬉しそうに微笑む守に少し絆されながら、さっき言った暴言の数々を本世屋は不意に思い出し気恥ずかしくなる。
「いやっ! そ、そんなことないんですっ、俺っ、さっきはうっかり言い過ぎて、守さんの事情も知らないで一方的に言いたい放題言っちゃってそのっ、言った後めっちゃ後悔しましたっ、そのっ、失礼な事連発しまくって言っちゃってそのっ、ごめんなさいっ」
 本世屋は自分に鉄槌を与えようと机に頭をごつんとぶつけた。
 机は思ったより固く「いてっ……」と声が出てしまった。
「言い過ぎなんて事ないです。むしろ僕の方がお礼言いたいくらいです」
「守さん……」
 本世屋の傍まで顔を近づけて想像以上に人懐っこい笑顔で微笑む守に本世屋はなんだか照れくさくて顔が真っ赤になってきた。
 今日は本当に最低で最高の日だ!!
「どうしたんですか……?」
「あーいやっ、そのっ……改めて近くで、そのっ、見たのはっ、もといっ会ったのは、はっ、は、初めてなのでっ……よ、よろしくお願いしまっす……」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 手を差し伸べる守は本世屋や他のメンバーにとって驚くことばかりだった。
 もっとクールな感じの人だと思ったが、普段はとても柔和で優しい人なんだなと改めて気持ちが高揚した。
 彼らは自分の電話番号を知って欲しくて、守にそれぞれ名刺を渡し、守は後日事務所に正式にお願いするという風に言ってくれて第一回目の記念すべき会が終わった。
 彼らにとって本当に今日は最低であり、最高潮な1日だった。

 


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