ハッピーライフ☆桜 (8年後の二人☆)

 


 最寄駅から海倉のマンションの途中にある並木道には要所要所に植えてある桜の木々が満開で、暖かな日差しが降り注いでいる。
 桜の花びらは一気に開花して盛り上がるように咲き乱れ、その見事な桜並木を本来なら仰ぎ見つつ白昼夢のような春の一時に酔うはずが、今の彼にはその余裕がなかった。
 サングラスを掛けているにも関わらず、道ゆく人が彼のスマートな美貌に振り返る。年を追うごとに更に男らしくなって行った彼は、男女問わず誰もが憧れるいい男の部類なのだろう。
 カジュアルなジャケットの私服ではあるが、恐い印象と少しだけ癖のある髪は消える事なく健在である。

 隆二はそのまま海倉のマンションに辿り付くと、サングラスを外し、狂ったようにベルを鳴らす。

 中からかったるそうな声がこだますると、しばらく玄関のドアが開くのに間があった。
 隆二はイライラしてドアに手を当てたまま、指先でトントンとドアを叩くように何度も動かす。
「あ〜う〜? よぉ!」
 ドアを開けてもここの住人はかったるそうな声を上げていた。
「守は?!」
「ん〜? 中にいるけど恐らくお前には会いたくな……」
 海倉が言い終わる間もなく、隆二は靴を脱ぐとそのまま海倉のマンションにあがりこんだ。
「おいおい! 勝手に入るなよ」
 隆二はキョロキョロと辺りを見回し、リビングに彼の姿が見えないとわかるとそのままベッドルームのドアを開けようとした。
「こら! 何を勝手に!」
 ドアノブに手をかけたが、ベッドルームのドアは鍵がかかっている。
「守! いるんだろ?! 開けろ!」
 中から返事はない。
「守ちんもう少し寝かしといたら? 夕べは俺とのあつ〜い一夜だったんだか……」
「守!! 開けろ、すぐにだ!!」
「……俺の話聞いてるか?」

 中から返事はなかった。
 隆二はしばらくドアに手をかけて俯いていたが、そのままその場でうな垂れるようにして頭を下げた。
「俺が悪かった。ごめん、本当に酔っ払って、半分も覚えてないんだ。少し調子に乗ってしまった。許してくれ……!」
 部屋からは何も返事がない……。
 ただ謝るだけでは到底許してもらえそうもない空気を感じた隆二は、そのままずるずると床に座り込み、今度は床に頭を擦りつけるようにして謝る。
「本当に申し訳なかった。もう2度としない……許してくれ」
 土下座である。

 それは夕べの事。久しぶりに仕事で嬉しい事があり、随分酒を飲みすぎて、酔った勢いだった。
 つい気が緩みすぎてしまった。
 お酒の席でふざけて、その場にいた誘いを掛けてきた10代の若い男にキスをした。その後彼にホテルに誘われて、随分酒が回りすぎたのか勢いに乗って軽いノリで行ってしまおうと出向いた矢先に気分が悪くなり、ホテルの前でしゃがみこんでしまった所に守が現れる。
 どちらにしてもホテルの前でみっともなく吐いてしまったので、若い男の子とHどころではなく彼は呆れて帰ってしまったのだが、そんな現場を思いきり見られてしまえばいい訳のしようもない。

「……そんなに若い子の方がいいなら、そのままその子と生きていけば?」
 しばらく土下座していると、ややあって部屋の中から声が聞こえた。
 表情が読み取れないような守の無機質な声は、隆二の背筋を凍らせるのに充分だった。
「ち、違うんだ。酷く酔っていて、前後の見境もなくっ! 少し調子に乗って飲みすぎた。本当にどうかしていた」
「……別にいいよ、僕ももうすぐ30になるし、そりゃ10代の若い子の方が肌も綺麗だし、なにかといいだろうね」
「違う、本当に違うんだ。年がどうとかじゃなくてな、ほんとに気が緩んで……」
「気が緩むとキスするんだ? ホテルにも行こうとするんだ」
「ううっ……」
 隆二は守がどこから自分の失態を見てたのか恐くなった。
「お、お前、30だって言ってもまだ肌は綺麗だし、あれだ、若すぎるのはあんまりよくないもんだぞ、30代はあれだ。少しくずれかかった感じがいいって言うか……そのっ。青くないところとかがいい」
「何言ってんだ、隆二」
 傍で缶ビール片手に海倉が半ば呆れ顔で見つめる。
「……僕はどうせもうくずれかかってるよ」
「ああ、違うっ、そうじゃなくて、しっとりしてて、深さが違うんだよ!!」
「アホか」


「もういい」
 その声を最後にしばらく声は途絶えてしまった。
 その後隆二がいくら話し掛けても何も返事がなくなり、隆二は耳が垂れ下がったしょげた犬のように肩を落として、居間のテーブルにへたり込んだ。
 テーブルの上に守に外されたお揃いでしているシルバーリングが置いてあるのを見つけて、それをそっと手に取ると、余計気持ちが凹む。
「守……」
 思わず涙が滲みそうになった。
「お前らな……」
「すまない……海倉」
「いや、別にいいけどよ〜。面白いし。どっちにしてもちゃんと持ち帰ってくれよな〜。また今夜俺の寝場所がなくなるからよ」
「もちろんだ」
「まぁ、魔が差すなんてこたぁよくあることだけどな」
「……」
「酒でも飲むか?」
 海倉が隆二の目の前に酒をちらつかせた。所詮他人事。気楽な調子である。
「……」

 隆二は守のシルバーリングを両手で持ち、呟く。
「僕には守しかいない……添い遂げるって決めたんだ」
「……」
「年とったら海の傍に引っ越して、そのまま二人でのんびり暮らすんだ……日本じゃなくてもいい」
「……そっか、よかったな。そうすればいいじゃないか」
「……」
「大丈夫だって、あいつだって本気でお前を嫌いになったりしてねぇよ。色々あったじゃないか? どんな覚悟して一緒になったと思ってんだ?」
 海倉が半分励ますように言っても、隆二の凹みは治まらない。
「体がどうこうだけじゃない。心が……心が一番繋がっている」
「ああ、わかってるよ」
 海倉は小指で耳を掻きながら、半分呆れ顔で受け答えした。
「ううっ……守」
 その場で俯く隆二のあまりの凹み様に、海倉はため息をついた。
「馬鹿だなお前。そんなに苦しむなら、最初から酒に酔った勢いで浮気なんてするなよ」
 がはは! と笑い出す海倉に、隆二は何も言い返せなかった。
「ううっ……」
「まぁ、若い頃に比べればそっちの回数も減るだろうから、あれだ。若い男に気をとられることはよくあることだろうけどな、守も一回くらい許してやりゃぁいいんだよなぁ〜」
 適当なことを言いながら、すっかり親父の風格を増した海倉は、さきイカを口に放り投げる。海倉のマンションから先ほどの桜の並木道が見える。おもむろにダンボール箱からワンカップ酒を取り出して今度は日本酒で花見を再開した。
 海倉にとっては今は花見気分なのである。隆二と守のいざこざを余興のように楽しんでいる海倉でもあった。

 そんな事をしていると、突然ベッドルームが開き、守が出て来た。
 何かを気にしているようで、はっとして顔を上げた隆二の前を素通りすると、そのままキッチンに消える。
「まもっ……」
 隆二がキッチンまで追いかけると、先ほどからなにやらいい匂いがしていたものの正体がわかった。
「海倉さん、火止めてくれたんですね?」
「ん〜? ああ、そうそう、こげつくとせっかくのごちそうが台無しになっちまうからな!」
「ん、大丈夫です。こげてないです。折角作ったし、食べます?」
「おお、もちろんだ、食う食う! ちゃんとした酒の肴が欲しかったところだ」
 守はそのまま小鉢に煮物を盛ると、リビングのテーブルにことりと置いた。
「僕も飲んでいいですか?」
「おお! ほらよ」
 海倉に投げられたお酒を受け取り、開けてリビングに腰掛けるとそのまま一気に開ける。
 守は隆二の存在を無視して、お酒を開け口に運ぶ。守の綺麗な喉越しにお酒が流れて行く。
 その様子をぼうっと突っ立ったままの隆二は見ていた。
「ああ、美味しい……」
「おお、いい飲みっぷりだな、もう一本行くか?」
「はい」
 守はにっこり微笑んだ。
「飲め飲め、お前が酔いつぶれても連れて帰ってくれる人間がそこにいるんだ。遠慮はいらないぞ」
「ええ、そのつもりです、……だよね? 隆二」
 突然呼ばれて少し焦るが、隆二はすぐに頷いた。
「あ、ああ、もちろん連れて帰る」
 守はこちらを向くことはなかった。まだ完全に許してはくれない様子で背を向けたままだが、姿を見せてくれただけ隆二はほっとした。一息つくと胸を撫で下ろす。
 落ち着いてきた後、しばらくお酒を飲み干す守の姿に隆二は見惚れていた。
 あの頃と違って共に生きた時間が長い分、守は随分自分に染まった。
 監督からタバコを一つもらって吸うしぐさも愛しい。しかし、彼がタバコを吸う事は稀だ。
 余程ストレスが溜まったか何かあった時だけなので、同時に胸も痛む。
 タバコを持つ手も、髪をかきあげるしぐさも、俯く横顔も頭の天辺から足の先まで、なにもかもすべて自分のものだ。
 そして苦しませてしまった彼の心も……。




 帰り道……駅前まで行き、そこからタクシーで帰ろうと隆二は守をおぶったまま夜桜を見つめていた。
 あれから守はかなりお酒を開けた。が隆二は何も言わずに好きなだけ飲ませてやった。
 酔いつぶれて少し寝かせたが、「もう家に帰ろう」と呼びかけ起こそうとしても辛そうだったので、そのまま背負って連れて帰る。
 背負った守の体が背中に当たり、火照っていて暖かかった。
「……海の傍って……どこ? どこにするの?」
 ふと背中の守がだるそうに呟く。
「……そうだなぁ。お前が好きな所なら別に海でなくてもいい。山でも。自然の多いところなら……」
「僕も自然があればどこでもいいや……隆二と……一緒ならどこでも、いい……」
「……守」
 隆二の胸元を掴んでいる守の左手にはリングが元のように嵌められていた。
 法律では許されていないけれど、二人は二人だけで誓った儀式がある。
 隆二はそれを見て胸が一杯になり、思わず空を見上げてた。暗い空に桜がぼやけている。
 
 隆二はすぐにでも守をどうにかしたい衝動にかられたが、それは帰ってからゆっくりベッドの中で抱きしめることにする。
 夜の桜が少しづつ散り始めているが、それは昼間の明るい日差しとは違い、幻想的な美しさ、夜の顔を出している。
 が、ふと、守の方が背中から降り立った。
「……守?」
「もう平気、それより綺麗だねぇ、桜……」
「あ、ああ……」
 桜の花を見上げる守の綺麗な横顔に、隆二は思わず彼の腰を抱き寄せた。
「隆二?」
「……守、本当に悪かった」
「んっ」
 その場に誰もいないことをいい事に、隆二は守のさらさらの髪を撫で、そのまま頭を引寄せるとキスをした。
 咄嗟に唇を放して、少しだけ視線を反らせると守は口を尖らせる。
「ずるい……」
「ごめん……」
 再び守は引寄せられキスをされた。
 終わる事のないキスに少しだけ抵抗した守だったが、自然に体の力が抜け、絆されるように隆二の腰に手を回した。




 明るい日差しの中で、堂々と咲き誇る桜のように歩く事はできない僕たちだけど……。
 
 この夜桜はまるで僕らの様だ。
 
 僕らは僕らが咲ける場所で咲けばいい……。
 
 これからもずっと……。





少し先の二人を書いてみました。痴話ゲンカ?!
つうかなんかゲロ甘いですね(*>へ<*)
アア、ゴメンナサイ

2005.4 かにゃんまみ

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